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2010/11/27 (Sat) 最近の趣味の情勢とデザインの話

最近クロースアップマジックの練習をあまりしなくなった
専らジャグリングの練習ばかりしている

トランプをさわっても手の体操程度だったりフラリッシュに手を出したり
以前のように新しいマジックを求めて、なんてことが少なくなった

先日イゴンさんに同好会に遊びにきていただいた時に実感したことである
そう今まで自分はマジシャンではなくカーディシャンだったのだと

もともとトークが下手だったわけだが最近だんだんそれも慣れてきたなあと
それは思いこみだったのではないかと

いや気を配っていないわけではないし、自分でもがんばっているつもりだ
エンターテイメントとしての完成度についても日々よく考えたものだ

だからこそ、この事実に気付いた
自分は「マジック」ではなく「マジックの技法」が好きなんだと

それが自分はマジシャンではなくカーディシャンなんだと
思い知らせたのである

これには自分の性質というものが深く関係していると考えた
最近ジャグリングばかりしているのにもこれが関係していると思う

あくまで自分の中の相対的な認識として、マジックよりジャグリングの方が難しいのだ
自分はより難しいことにやりがいを見出すタイプの人間らしい

そして且つ、誰もやっていないマニアックなものを追い求める嗜好がある
それは何に於いてもだ

だから、クロースアップマジックを最近しなくなった
フラリッシュやジャグリングをするようになった

チャド・ネルソンの某技法が出来るようになって以来
何か熱のようなものは失われた気がする

結局のところ、自分の本質はカーディシャンなのである
ということが言いたかった

まあだからと言ってマジシャンでないとは言い難いし、
技法ではなくて「マジック」を極めることをやめる理由には全くならない
ということは誤解しないでいただきたい

以前ペン回しに精を注いでいた時代にもその節は多く見受けられた
この難しい技を入れれば、構成を複雑にすれば、新技を入れれば
ウケるだろうと

しかしそこには「自分」がいなかった
ただペンが回っていただけだった

それに気付いたのだ
そこから自分の姿勢は変わった

ある程度技術嗜好を極めた後、芸術嗜好に変わったのだ
そして今に至るわけだ

多分これからマジックもジャグリングも突き詰めていけば
芸術嗜好に変わっていくのかも知れない
つまりのところ最終的には芸術家嗜好に向かっていくのが自分なんだろうなあと
その時は立派なエンターテイナーになれているのでしょう



さて前置きは長くなったが本題に入ろうと思う

ようやく大学での生活も慣れてきた
いろいろな授業を聞いていく中で、だんだん自分の考えというものがまとまりつつある

まず根本的にデザインって何だ?
というところから始まるわけだが

大学ではデザイン≠アートだと主張する先生が多いが
果たして本当にそうなのだろうか?

自分はそうは思わない部分がある
近年アートとデザインの境界は霞みつつあるように思う

多様化と国際化が進む現代では、人々の趣味嗜好もまた実に多様である
そんな中で、従来のデザインやアートなどといった枠に囚われていては
いいデザインは絶対に作れないと思っている

史実上、産業革命以前と以後で
デコレイティブなデザインとインダストリアルなデザインという考え方を提示しているが
これもまたよくわからない部分である

職人がその技術を集結させて作った贅沢品が前者
大量生産を前提に、かつ人々が使いやすいように考えられたものが後者
ということだが

私には前者はデザインでありながらアートであると思われる
職人が技術を用いて美しい形を追求してデザインされるものだ
(「デザインする」という単語しか使えないのが残念だが)

ここで追及されるものは「美による善」なのである

後者は後のモダンアートの基準となるわけだが
大量生産できるように形はシンプルに
そして使いやすく人間工学に基づいてデザインされる

ここで追及されるものは「善」なのだ

同じデザインという区分になっているが、追及しているものがそもそも微妙に違う
前者は若干アート的で、後者はよりデザイン的であると言えよう
しかしそれもあくまで史実上の後付けによる基準であることは忘れてはならない

つまりアートとデザインの区分はそもそも霞みがかっていて曖昧なものだと
それを制限していてはその微妙な位置に存在する発想は排除されてしまうことになる

ここで、これまでの話に多少矛盾が生じる可能性があるが
とある話を出そう

MacBookのデザインは多少過言だが
デコレイティブでインダストリアルだと言えるかも知れない
一見モダンデザインの集大成とも言える外見である

が上面と側面の境目に角Rがとられていなかったりする
この部分は一般的に、耐久性を考慮して角はとられるが、MacBookは違う
美しい形を追及した結果、角は他社のノートPCよりかなり鋭い

*決して物理的にはデコレイティブではないが発想としては近いものがある
本当はスタイリッシュくらいの言葉が丁度いいかも知れないのだが

このようにデザインとアートは混在しているのだ
でなければモノのデザインはそのものにつき一つしかなくなってしまうだろう
自分はそう考えている



さて、これから自分はこれから2年生になってコースを選択して
勉強を進めていくわけだが
そもそもこの大学で自分は何を学ぶべきなのか

私の属しているのは造形デザイン学を専攻する科だ
これはあくまで学問であり、本格的な技術を学べるわけではないし
社会で直接役に立つかと言えば100%そうだとも言えない

では何を最終目標としてこれから勉強していけば良いのだろう
造形デザイン「学」なのだから、我々は「デザインを考えるプロ」
にならなくてはならないのではないか

実際に作るのに大事なのは隣のデザイン工学科の人達や
専門学校でソフトウェアの沢山の実践を積んできた人達だ

我々が発想して
それの製作過程、構造的問題、コスト等の問題を発見、助言していくのが
デザイン工学を学んだ人達
実際に作るのが製作の専門家たち

自分はそこを間違えて入学してしまった節がある
自分はCGの技術を学びたくてこの大学に入った
だが学べるのはあくまでプロデュースだ

ここでも自分の性格が発揮されている
自分はより難しいCG技術を求めていたのだ

まさかCGもまたマジックやジャグリングのように趣味でしかないのか
と思ってしまったのだ

これで果たしてITコンテンツデザインを専攻していっていいものなのだろうか
もしその分野関連で就職したら会社の下でチームで仕事をすることになる
自分のやりたいデザインができることは少なくなるだろう

そこで考えた
自分には実は芸術家嗜好があったのだと

だったらもしかしたらセラミックを専攻しても良いんじゃないか
アートともデザインともはっきり言い難い分野だ

自分で考えて自分で作る
それもいいような気がしてくる
もしかしたら向いているのかも知れない

が残念なことにセラミックに興味がない

好きなこと以外は頑張れない
やはり興味というのは大事だ

考えてみれば自分がやりたいと思っている映像の分野も
人と違う考え方が出来るというのは武器であるし
製作の対象が社会に関わらないような、アートとも似た部分を持つことが多々ある

もっと考えればそもそも何に向いているかなんてやってみないと分からないし
このご時世だ、デザイナーとして就職するかも分からない

せっかくの大学生なんだから学びたいことを学ぶ
好きなCGや映像を学んでそれでいいじゃないか

というごく普通の答えにまとまってしまったわけである
ここまで書いておきながら綺麗な結論を用意していない

1年生で何もかも始まったばかりだからだ
まだまだモラトリアムなのだ

きっと自分はモラトリアムが長いだろう
人生やりたいことがたくさんある

それらを決めていくのは自分だし
やめるのも自分であることを忘れてはならないと思う
目標が自分にあろうとも他にあろうとも

やりたいことというよりも
今やらなくてはいけないことが多いということに気付いた

もっとがむしゃらにならなくてはいけない
平和ボケは最大の愚だ





ということでみんなのこういう文章読んでみたいんだけど書く気はありませんか?^p^
個人的には趣味と勉強の伏線というか対比がなかなかいい感じに書けた気がするのですが!

そうでもないですね

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ざっき。 | comment(1) |


2010/11/03 (Wed) JEB Jugglers元動画





みなさんJEB Jugglersはいかがでしたでしょうか
こちらが私の元動画になります
wmv版が欲しいという方は直接交渉でお願いします

ざっき。 | comment(0) |


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